タイトルイメージ
本文へジャンプ 松商監督 小林正則  

『佐々木先生からの手紙


拝復
 道東の帯広市で行われた選抜大会の北海道予選、その不甲斐ない結果に意気消沈して舞い戻った職員室の机上に先生からのお便りがありました。驚きながら封を開け、感激して何度も読み返した次第です。ありがとうございます。
私は今年の4月に現在の栗山高等学校に赴任し、よちよち歩きのテニス部と一緒に毎日コートで汗を流しております。春まで在職した札幌稲雲(とううん)高校には15年間勤務しましたが、平成7年度の選抜で最初の全国大会を経験し、その時の公式練習の会場で北野さんのプレーを初めて目にしました。全国の強豪に挟まれて、夢でも見ているように足も地に着かない練習のさなか、部員の一人に言われるまま目をやった隣のコートで練習していた北野さんが、その後何回かの(一方的な)出会いの中で、私のテニス部顧問としての指導観や人生観まで変えてしまうことになりました。穴生ドームの観客席で生徒と一緒に観戦(応援?)した富士見ヶ丘(占部選手と小畑選手がいました)との試合も、はっきり記憶しています。また、翌年の山梨インターハイでの四天戦も、あのうだるような暑さとともに忘れることの出来ない思い出です。当時、私は、テニス部員だけでなく、授業や担任をしているクラスの生徒にも、北野さんのことをしばしば話して聞かせていました。その時に書いたものが出てきましたので、お恥ずかしい限りですが、同封させて頂きます。「ないしょの手紙」と題した学級通信です。届かないはずだった手紙が、10年近くの歳月を経て先生のお手元に届けられるのは、なんとも不思議な思いがいたします。
 翌平成9年度の京都インターハイは、北海道大会の決勝で敗れ、個人戦のみの引率となりましたが、偶然にも観客席に北野さんの姿を見つけることができました。その折りに、松商学園の生徒さん達と一緒におられた先生に、不躾にも話しかけてしまったのでした。名刺をいただいたはずなのですが、どこを探しても見当たらないご無礼を、あの先生にお詫びしなければなりません。ちなみに、あの年の男子の北海道代表・札幌藻岩高校の主将が、昨今、マスコミを賑わせている衆議院議員・杉村太蔵氏でした。巷間の政治家としての評価はさておき、タイゾウもまた私の忘れ得ぬ高校テニスプレーヤーの一人であり、複雑な思いでテレビの報道を見ております。
それら様々な記憶が、先生からのご丁寧なお便りによって、脈絡を持ち、生き生きと動き始めています。そして、強豪・松商学園を支える小林先生のお人柄とご指導の様子がうかがえるご文面に接し、北の片隅で弱小テニス部を営む一顧問として、どれほど大きな励みになったか知れません。また、失礼ながら、以前は、松商学園は県内の優秀なジュニアが続々と入部して来る名門チームであり、北野さんのようなソフトテニス出身者や初心者がレギュラーになるのは珍しいことなのだろうなどと推測しておりましたが、そんな誤った認識も改めることが出来ました。私が団体で全国大会に引率したのは、1度のインターハイと4度の選抜だけですが、曲がりなりにもジュニアと呼べる経験者の選手を擁して戦ったのは、そのうち3回に留まります。「全国がどんなに凄いものか知らないが、ジュニアなしでここまで来られたチームなんか、そうはいないだろう」などと勝手に考えておりましたが、そんなお山の大将のささやかなプライドは、一溜まりもありませんでした。
 北野さんにまつわる色々なお話は、どれも深い感銘とともに読ませていただきました。そして何よりも、先生が彼女の卒業後の人生にまで深く関わって見守り続けていらっしゃることには、尊敬の念を通り越し、教師としてある種の羨望に近い思いまでいたしております。いずれにいたしましても、あれから10年を経て、現在の北野さんのご様子を知らせて頂けたこと、そして彼女が新しい世界に飛び立ち、今も生き生きと輝いて活躍しておられることは、遠くから応援していた者として、これに過ぎたる喜びはありません。

同一校に長年勤務することを禁ずる北海道教育委員会の方針もあり、また公立高校の教員にとってはありふれた摂理として十分に納得していたはずの転勤が、かくも残酷な宿命であることを、この春、私は改めて思い知らされました。「心血を注いで」などという表現が適当であるかどうかは解りません。しかし、創立して間もない前任校でテニス部を受け持ち、やっとの思いで一つ一つ積み上げて来たものを総てリセットしなければないことの痛みは、言葉に尽くしがたいものがありました。そして何よりも、残していく部員に何と言って理解させてやればいいのか、転勤を告げたあの辛い瞬間のことは、生涯忘れられないと思います。一方で、私はこの南空知地方の出身でもあり、故郷に近い学校で教員として残り十数年のキャリアを全うすることは、以前から望むところでもありました。そして強がりでもなく、不毛の土地に種をまき、高校テニスの底辺を支えることには、誇りに近い思いまで抱いていたのです。(少し、カッコ良すぎですが・・・・・)しかし、その一方で、そのうちにインターハイでもセンバツでも狙えるチームを作ってやるサ、などという安易で畏れ多い見通しを持っていたことも事実です。・・・・・しかしながら、現実は、そう甘くはありませんでした。毎日が悪戦苦闘の連続です。ラケットの握り方どころか、準備運動のやり方、声の出し方、挨拶のし方、ボールの拾い方も知らない部員ばかりです。ましてや、人を押しのけてでも前に出ようなどと考える意識は望むべくもなく、最初の遠征で私が最も厳しく叱った生徒は、試合の前夜、宿舎の一室に集まって遅くまで話し込んでいたレギュラーの選手達でした。やれやれ、と言うしかない悩みばかり。こんなレベルの生徒達に、北野さんの話題まで持ち出して語ってやっても、果たしてどれほどの意味があるだろう。そんなことを考えながら書きつづったテニス部通信でした。それが意外にも反響は大きく、Kさんのストロークはどのくらい速いの、とか、サーブの打ち方をやって見せてくれ、ボレーはどんなふうにやってたの、などと盛んに聞いてくる者が出てきました。輝かせながら聞き入る彼女たちの瞳の遥か彼方に、選抜とかインターハイという大会が、ほんの少しでも見えるようになって、そこには、小さな小さな南空知という井戸の中の常識では測れない素晴らしい選手達がたくさん出場し、ものすごい試合をしているのだということを想像してくれただけでも、顧問としては十分すぎるほど満足でした。
 北海道では全体を11に分けたブロックで支部大会が行われ、その代表が集まって、北海道大会を戦います。札幌支部には50を超える加盟校がひしめいおり、ジュニア出身の選手も数多く出場します。一方、我が栗山高校が属する南空知支部はわずかに5〜6校を数えるに留まり、なかんづく選抜につながる2複3単の秋季大会では、栗山を含めて2〜3校しか出場資格を満たせないのが現状です。
 一足跳びに松商や柳川、園田、夙川を目指しても、それは叶うものでもありません。また、それとは別の座標軸を持って頑張るテニス部が、北海道や長野の片隅にあっても、それはそれで意味のあることですし、自分の職分や使命も、あるいはその座標軸に据えて取り組むのが妥当なのかも知れません。そのことは重々承知していながら、いつの日か、再びあのステージに到達し、先生方と審判台を挟むベンチに腰掛けて試合する日を夢見ずにはいられないのです。
栗山はのんびりした農村地帯です。ガット張りをする準備室の窓からは、地平線まで畑しか見えません。受験指導も前任校に比べれば無きに等しく、生徒達の気質はいたって穏やかで、生徒指導上の問題も極めて少ない学校です。部活動に打ち込むにはもってこいの環境でありながら、こと“メンタリティ”という要素に関する限り、私は絶望的な思いにさせられます。嫁に出すには太鼓判を押すけれど、およそスポーツなどという勝負事に向いているとは思えない可愛い娘達に、私は今日も心を鬼にして「走れー」「声出せー」「足動かせー」と怒鳴り続けるのです。
 学生時代の4年間を過ごした京都でアルバイトをしていた名曲喫茶の名前が、萩原守衛にちなんだ「碌山」でした。山好きのマスターが、穂高や松本のことをよく語って聞かせてくれたのを思い出します。一度は信州をゆっくり旅してみたいと思いながら、かと言ってテニス部を抱えて夏休みや冬休みに遊山の旅が許されるゆとりもなく、この歳になるまで、その願いは叶えておりません。「いつか松本にお伺いして・・・・」などとの口約束は果たせる自信もありませんが、その代わり、選抜かインターハイの会場で先生にお目にかかり、今回のお礼を申し上げる日がいつか訪れることを信じ、日々の球出しに励みたいと思います。
 拙文を読み返し、そのなんとも失礼で情けない内容に、これを果たして投函してもいいものだろうかと迷っております。また、南空知支部のHPに載せていただいているテニス部通信も、小林先生や下岡先生のような方々の目に触れていると考えるだけで、足のすくむ思いがいたします。それにいたしましても、インターネットという文明の利器の力は、なんと計り知れないものでしょう。HP制作に熱心な南空知支部の専門委員の先生に誘われて、第1号の“CHANGE OF PACE”をアップロードして頂いたのが始まりでした。そうすれば、前任校に残してきた部員達や卒業生にもメッセージが送れると考えたからです。今後はいい加減なことは書けない、などと己を戒めながらも、今回のような僥倖に出会う喜びもまたインターネットのお陰であると感謝している次第です。

 虫の声が途絶え、朝夕の気温は10度を割りました。北海道には暗く閉ざされた長い季節が訪れようとしています。札幌にいた頃のように、手頃な室内コートもないこの土地のテニス部顧問は、季節の移り変わりの風情にひたるいとまもなく、冬期間の練習場所確保に奔走しなければなりません。本州とは言え、冬の厳しさは松本もこの土地に引けをとるものではないと伺っております。季節の変わり目にお風邪などお召しにならぬよう、どうかご自愛ください。また、先ほど北信越のHPを開き、松商学園の3位入賞と全国選抜大会の出場権獲得を確認いたしました。来春の福岡でのご活躍を、遠い北国よりご祈念申し上げております。
末筆になりましたが、生来の悪筆を厭うあまり、活字にてしたためますご無礼を、どうかご容赦ください。
敬具。

                  平成17年10月7日

  北海道栗山高等学校女子テニス部 顧問
佐々木雄介


追伸
 今夜は、「白線流し」を見ます。DVDにも録画しなくちゃなりません。