高校生が審判をするという事
平成15年8月27日
管理者:長野県高体連テニス部委員長 下岡隆志 管理者へe-mail
 テニスの大会って、観戦に行ってもどうも盛り上がりませんよね。コート上では選手が熱戦を繰り広げているのですが、観客も少なく一旦コートを離れると閑散としています。まだまだ、「文化としてのテニス」が、我が国には根付いていないことを痛感させられます。外国の、特にメジャー大会のように、会場全体が熱気と興奮に包まれる、そんな雰囲気がなかなか出来てきません。変な例えですが、ディズニーランドはゲートを入る前からわくわくさせられますし、アトラクションに入らなくても通路を歩いているだけでどきどきします。ウィンブルドンやUSオープンには、そんな雰囲気がある、と観て来た方に教わりました。
 それでも高体連の全国大会には、もちろんメジャー大会と比べるべくもないのですが、それなりの熱気と雰囲気があります。なにがその雰囲気を作り出しているのかと言うと、まず選手が全国11万人の高校生の中から勝ち抜き、勝ち抜きしてたどり着いた頂点の大会であるからでしょう。選手たちは、郷土の代表として多くのものを背負って戦うことになります。二つ目には、各校選手以外の多くの部員、家族が詰めかけ、選手と同じ思いで応援を繰り広げる熱気があるからだと思います。さらにもう一点、見逃してはならないのは会場で大会運営に当たる多くの高校生補助員の存在です。本年度の長崎ゆめ総体のプログラムを見て頂くとわかりますが、競技補助員は400名、内審判係は349名です。それ以外に、会場美化係とか駐車場係とか担当してくれる運営補助員が104名。計、高校生補助員504名が大会を支えてくれていました。高校総体は、選手だけのものではありません。この補助員生徒達にとっても「ゆめ」の舞台であったわけで、特に審判に当たった生徒達は大変だったと思います。何度も何度も講習を繰り返し本番に臨んできたはずで、会場の空気の中にピーンと張りつめた選手の緊張以外に、どきどきと心臓を高鳴らせている審判員の緊張も感じるような気がしました。

 高体連のテニスの大会では、全国大会だけではなく、地区大会、都道府県大会等においても高校生が審判を行っています。その為不本意ながらミスジャッジは避けて通れず、「なぜ大事な試合に高校生の審判をやらせるのか」、「運営はもっとしっかりして欲しい」、「せめて準決勝以上からは正式な資格を持った審判員にやらすべきだ」などのお叱りも多く頂きます。さらに審判員の育成は、専門部にとって最も頭を悩まし、最も手間のかかる仕事です。高校から始めた選手は、当然のことですがカウントの方法もわからない、タイブレークもわからない、そんな生徒達に非常に難解なアナウンス・コールの方法、複雑なルールを教え込ませ、自信を持って判定させなければなりませんので。それでも私たちは、「スコアカードが書けて審判ができなければ、試合には出れないよ!」という姿勢で臨んでいます。
 今「テニスの王子様」人気で男子を中心にテニスブームが起こっています。でも、そんな「ブーム」って本当に当てになるのでしょうか?かつてもっとテニスブームであった時、その後にテニス人気が定着したのでしょうか?単にブームに浮かれただけで、私たちが怠ってきたことは、「本当にテニスが好きで」、「テニス大会や放送を心待ちにする」本当のテニスファンを増やす努力、だったような気がします。トップの育成はもちろん重要です。しかしトップを支える大きな層が出来上がらない限りトップの厚みも増してはいかないはずです。長崎総体で頑張ってくれた504名の補助員諸君は、きっと良い思い出とともに、いつまでもテニスファンでいてくれるのではないかと思います。

 しかし、そうであっても審判の判定ミスは、当然ダメですよね。
 公認審判員を大会に用意すれば、この問題は即座に解消できます。私たちの方法は、試行錯誤、経験・学習を繰り返しながら全体の向上を図ろうとするもので、確かにその歩みはのろいのです。数年前、コート外からボールが入ってきた時の対処について監督連絡会などでもめた時期があります。「審判が中断できず危険だ」、「レットのタイミングが悪く有利不利が生じている」などでしたが、今年の長崎ゆめ総体では審判は自信を持ってレットにしていましたし、選手も当たり前のようにそれに従っていました。ずっと言われ続けてきた「コールの声が小さい」、というクレームも本大会では、ほとんど聞かれなくなりました。また、昨年までなかなか取れなかったのがフットフォールトでしたが、今大会では私が見た限りほとんどのコートできちんとジャッジできていました。「そんなこと審判員にとっては当たり前!」と思われるでしょうが、経験の乏しい生徒にとって審判台の上で自信を持ってジャッジするのはなかなか難しい事です。そのルールが当たり前のこととして、全国で選手の側にも審判の側にも浸透して初めて可能になってきます。
 今回の長崎ゆめ総体女子決勝戦で「けいれん」をめぐるトラブルが発生しました。「けいれん」については県大会などでも常にトラブルの元で頭を悩ましていたのですが、高校生審判にとってコードバイオレーションを遅延なく適応できるのは、なかなか至難の業です。コード自体が複雑すぎてルールを完全に理解するのが難しい上に、冷徹に時計を動かす判断がなかなかできないからです。今回のトラブルでは最終的にレフェリーが入り、コードバイオレーションが適用されたと聞いております。時計を動かすタイミングの遅れや判断の揺れに問題があったようですが、両校納得の上で試合は再開され、まれにみる大激戦を続け観る者に感動を与えたようです。ルールは万能ではなく、判断する側の人間性がルールをコントロールするのだと思います。ウィンブルドンだったと思いますが、明らかに3分を超えるインジュリータイムをテレビで見たことがあります。
 この問題については、的確な審判に対する対処法を全国に徹底する必要があり、私自信も長野県において対処マニュアルを考えている所です。私だけではなく全国の専門委員長は同様であり、そういう活動を通してこの種のトラブルも克服されていくのだと思います。専門家でない私たち顧問や生徒達は、自分たちや自分たちの仲間の失敗や痛みを共有しながら、少しづつ向上していきます。もし、高校生の審判員以外がジャッジしていたら、こういう感覚は生まれてこないかもしれません。

  「テニスの大会は高校であろうと一般であろうとプロであろうと、すべて同じ」というご意見は見識であると思います。ただ、「高校総体テニス競技」は「全国総合体育大会」の一競技会として、高校教育の一環として開催されています。従いまして、単なる勝ち負けを越えた部分にも大きな重きを置いている事、この点もご理解頂ければありがたいと思います。

 *<この文章は私見であり、高体連の見解ではありません>