学校スポーツの限界?顧問の苦悩2
批判続々、あえて弁明
平成15年3月2日 管理者
 2月28日掲載の「学校スポーツの限界?顧問の苦悩」に対して、「疑問を感ずる」というメールを複数頂きました。「高校生も多く見るサイト、夢や希望を与えるものであって欲しい」、「民間企業も同じ、苦しい時こそ前向きに」、「教育の場で、金銭のことを公にするのは潔くない」、等々です。
 実はこの文章、批判もあることは承知の上で掲載致しました。テニスばかりではありませんが、高体連を支えているものがどのような状況にあるかを、皆さんに知ってもらいたかったからです。こういう話しって、熱心で誠実な顧問はことさらですが、誰も口にしようとしませんので、皆さんの耳に届くこともなかった事だと思います。

 ちょっと別の話題から入ります。
高体連の都道府県、地区、全国大会などでは、高校生が審判を行います。選手になれなかった生徒が、一生懸命練習を積み、自分よりはるか格上の選手をジャッジするわけで、審判の生徒にとっても晴れの舞台、緊張のあまり膝もガクガクになります。そんな中、試合後目を真っ赤にし本部へ戻り、報告後物陰で泣いている生徒が、1人2人必ず出ます。選手も必死なのですが、選手や監督の心ない言葉が、審判生徒の心をズタズタにしていきます。もちろんミスジャッジはいけないのですが、中にはプロ選手のごとく傲慢な選手もいます。多分彼らは、この同じ高校生審判の、努力や緊張や痛みに、まったく気づいていないのだと思います。
 3月の全国選抜大会では、地元福岡のテニス部の生徒たちが審判を担当してくれます。特に1回戦、試合前の緊張した審判団の表情と、試合が無事終了した後の笑顔、そこにも注目です。審判・運営まで含めて、だから高体連の大会なのです。

 「日本では文句や悪態をつく子はいても、きちんと自己主張のできる子は少ない。」とは、各所で言い尽くされてきた言葉ですが、テニスの大会運営を行っていても、その事は痛感します。「高校生に夢や希望を与える」事にはやぶさかではないのですが、「テニス(勉強)だけ一生懸命やりなさい、他のことは心配しなくて良いから。」、そんな風に育った子供が多すぎる気がします。自分の夢や希望の実現には、様々な人と関わり、様々な人のお世話になっていくわけですが、その人たちのことをよく知らず、また考えようともしないので、「文句しか言えない」、のではないかと思います。
 「学校スポーツの限界?顧問の苦悩」は、決して顧問を正当化するものではありません。だから部活指導しなくて良いのだ、ということには絶対なりませんし、当然非常に多くの問題ある運動部顧問が存在する事も事実です。
 まず「事実を知ること」、これが次へのステップや進歩の第1歩である、と考え、あえて耳苦しい部分も含めて掲載致しました。以上、私からの弁明でした。

 さて、本来の本題、「なぜ私たちは部活指導をするのか」ですが、これはまた、次回以降。顧問の先生方のご意見、お待ちしております。